90年代に一世を風靡した女性ボーカルグループ「SPEED」のメインボーカルとして活躍した島袋寛子さん。圧倒的な歌唱力とキュートな笑顔で、今なお根強いファンを持つ彼女ですが、私生活では2017年に俳優・早乙女友貴さんと結婚し、2023年に離婚という選択をしています。
多くのファンから「子供はいるの?」「なぜ授からなかったの?」といった声も聞かれるなかで、今回は“なぜ島袋寛子さんには子供がいないのか”について、これまでの情報や背景をもとに詳しく解説します。
子供はいない
まず結論から言うと、島袋寛子さんにはお子さんはいません。元夫の早乙女友貴さんとの6年半にわたる結婚生活の間にも、妊娠や出産の報告は一切なく、複数の報道でも「子供はいない」と明記されています。
Instagramで娘とのハグショットを公開し話題になったこともありましたが、これはドラマ『放課後カルテ』での母親役を演じた際の共演者との写真であり、実際のお子さんではありません。
子供は欲しかった
報道によると、島袋さんは結婚当初から「子供が欲しい」という思いを持っていたようです。2017年当時、メディアでは「早く子供ができることを望んでいる」といった報道もありました。彼女自身も落ち着いた家庭生活を築く意欲を持っていたようですが、現実は思うようにはいかなかったようです。
子供がいなかった理由①:不妊ではないかという憶測
一部には「子供ができない体だったのでは?」という噂もありますが、これはあくまで根拠のない憶測です。本人からは妊娠に関する体調面のコメントや、医療的な説明は一切出されていません。
芸能界という過密なスケジュールとストレスの多い環境では、妊娠・出産に向けた準備を進めるのが難しい面もあると考えられます。また、妊娠は非常にプライベートで繊細な問題であり、本人が発信していない以上、外野が軽々しく言及することは控えるべきでしょう。
子供がいなかった理由②:夫婦間の価値観のズレ
島袋さんと早乙女さんの離婚理由として「価値観の違い」や「ライフスタイルの不一致」が挙げられています。特に年齢差は12歳、島袋さんが32歳、早乙女さんが20歳での結婚という点も大きな要素。
島袋さんは家庭を重視する考えだった一方で、当時まだ若かった早乙女さんは、仕事を優先したいという思いが強かったと報じられています。こうした考え方の違いが、子供についてのタイミングや方向性にも影響した可能性は否定できません。
子供がいなかった理由③:多忙によるすれ違い
島袋さんは音楽活動、舞台、ラジオなど幅広く活躍し、早乙女さんも俳優として舞台を中心に多忙な日々を送っていました。夫婦ともに仕事優先のスタイルが続いたことにより、家族計画が後回しになったのかもしれません。
実際に、離婚時のコメントでも「多忙な中でのすれ違い」や「生活スタイルの違い」が要因の一つとして挙げられており、心身ともに安定した環境で妊娠・出産を目指すことが難しかった状況が伺えます。
子供がいないことに対する島袋寛子の姿勢
島袋さんは離婚後、「結婚は素晴らしい経験だった」と前向きに振り返り、「愛し合うこと自体が奇跡」と語っています。そして、現在は「一人でいても幸せを感じられる」とも発言しており、子供の有無に縛られない、自立した女性としての道を歩んでいます。
これは、人生における幸せの形が人それぞれであること、そして「母になること」だけが女性の生き方ではないという強いメッセージでもあります。
【馴れ初め】舞台「刀舞鬼-KABUKI-」での出会いからスピード婚へ
島袋寛子さん(当時32歳)と早乙女友貴さん(当時20歳)が出会ったのは、2016年2月に上演された舞台『刀舞鬼-KABUKI-』でした。これは劇団EXILE松組の旗揚げ公演であり、早乙女友貴さんの兄である俳優・早乙女太一さんも出演していた注目作。

この舞台で共演したことがきっかけで、二人は急速に距離を縮め、舞台の終了後まもなく交際に発展しました。年の差は12歳。島袋さんが年上という点で、当初は周囲も驚きを隠せなかったようです。
その後、わずか約7か月後の同年9月には婚約を発表。翌年2017年2月13日には正式に結婚届を提出し、芸能界でも「年の差婚」として大きな話題となりました。
当時は交際1周年記念日に入籍というロマンチックなタイミングが話題となり、島袋さんも「旦那ちゃん」と呼ぶなど、ラブラブな様子をメディアで見せていました。
結婚後は、夫婦で個人事務所を設立し、早乙女さんが代表取締役、島袋さんが取締役に就任するなど、ビジネス面でも協力し合っていたのです。
【離婚理由】一見幸せそうだった2人が別れを選んだ複数の要因
ラブラブだった二人でしたが、離婚することになりました。二人が離婚することになった理由とは何だったのでしょうか。
① 年齢差による価値観のズレ
12歳という年齢差は、恋愛においては刺激的でも、結婚生活を重ねるごとに、ライフステージや価値観のズレが浮き彫りになることがあります。
実際に島袋さんは結婚当初から「家庭を築きたい」「子供が欲しい」と望んでいたとされ、一方の早乙女さんはまだ20代前半という若さで「仕事に集中したい」という思いが強かったようです。このように、家庭と仕事、将来設計に対する優先順位が異なることが、すれ違いを生んでいきました。
② 子供を授からなかったことへの葛藤
結婚当初から「子供が欲しい」と語っていたとされる島袋さん。しかし6年半の結婚生活の中で、ふたりの間に子供は生まれませんでした。
妊活についての具体的な発言は本人からされていませんが、一部メディアでは「授からなかったことが関係している可能性もある」と指摘されています。
子供の有無は夫婦間の非常に繊細な問題であり、本人たちも語ることなく静かに向き合っていたのかもしれません。
③ 多忙によるすれ違いと生活スタイルの違い
島袋寛子さんは音楽活動や舞台、ラジオなど多岐にわたって活動しており、一方の早乙女さんも舞台中心に俳優として多忙を極めていました。
2023年に離婚を発表した際、「昨年あたりからすれ違いが生じていた」と明かされており、互いに忙しい中でコミュニケーションが不足していったことが伺えます。
さらに、早乙女さんは「潔癖症」であり、生活スタイルにこだわりがあったとも言われており、その細かな部分での不一致が積み重なった可能性もあります。
④ 離婚発表直後の熱愛報道で波紋
離婚発表からわずか1か月後の2023年3月、早乙女友貴さんがモデル・石田ニコルさんとの交際を報じられました。

報道によれば、舞台後に2人は深夜のカラオケバーに姿を見せ、その後石田さんの自宅に“お泊まり”する様子も報じられました。これにより、世間では「離婚前から関係があったのでは?」といった憶測が飛び交い、一部では「不倫が原因だったのでは」との声もあがりました。
島袋さんはこの報道に対して公のコメントを控えており、真相は明らかになっていませんが、これもまた離婚の背景として語られる要素の一つです。
⑤ 収入格差と役割の違い
結婚当初、新居は島袋さんが用意し、夫婦で立ち上げた事務所でも島袋さんが支える側にまわっていたと言われています。このような「支える妻」としての構図が、年下である早乙女さんにとってプレッシャーや負担になっていた可能性も指摘されています。
特に20代でまだ自分のキャリア形成に励む時期の男性にとって、収入や立場の差を強く意識することはよくあることです。
離婚後の島袋寛子:経験を力に変えて前へ
島袋さんは離婚発表後、次のように語っています。
「結果的に離婚となりましたが、結婚は貴重な経験でした。愛し愛されることは奇跡のようなもの。人を愛したことに後悔はありません。」
また、「今は一人でも幸せを感じられる」とも話し、恋愛に依存しない、成熟した価値観を持った女性像を見せています。現在は音楽活動を中心に、ライブやメディア出演を通して自分らしい表現を続けています。
まとめ
- 結婚生活中(2017年〜2023年)に子供は授かっていない
- 結婚当初は「子供が欲しい」という希望があったとされる
- 妊活や体調に関する公的なコメントはなし
- 「子供ができない体」という噂もあるが、公式な発表はなく憶測にすぎない
- ドラマ「放課後カルテ」の“娘役”とのハグショットが誤解を生んだ可能性あり
- 2016年2月の舞台「刀舞鬼-KABUKI-」で共演し出会う
- 同年9月に婚約を発表、2017年2月13日に入籍
- 島袋さんが32歳、早乙女さんが20歳での12歳差婚
- 交際1周年記念日に入籍、夫婦で個人事務所も設立
- 離婚発表は2023年1月、「2人で話し合った結果」と公表
- 具体的な理由は非公表だが、以下の点が要因とされる
- 年齢差による価値観・ライフスタイルの違い
- 子供を授からなかったことによるすれ違い
- 多忙によるコミュニケーション不足
- 早乙女さんの潔癖症など生活上のズレ
- 収入格差や夫婦内での役割の偏り
- 離婚後まもなく早乙女さんと石田ニコルさんの熱愛報道もあり、タイミング的に「不倫説」が浮上
以上最後までお読みいただきありがとうございました。