俳優・長谷川博己さんの父は著名な方なのを知っていますか?
長谷川博己さんの父は建築史家、建築評論家として名の知れた長谷川堯さんと言います。
ここでは長谷川博己さんの家族、主に父の長谷川堯さんについてまとめていきます。
長谷川博己プロフィール
名前 | 長谷川博己(はせがわひろき) |
生年月日 | 1977年3月7日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 182㎝ |
職業 | 俳優 |
学歴 | 中央大学文学部卒 |
活動期間 | 2001年- |
所属 | 文学座(2001-2006) フォスター(2007-2010) ヒラタオフィス(2010-) |
代表作 | 家政婦のミタ(日テレ) 麒麟がくる(NHK) |
長谷川博己さんは1年浪人して中央大学文学部に進学しています。
文学座出身の役者さんです。大学卒業後、就職しますが1年で退職し、文学座に入所しています。
2001年:文学座41期生として入所
2004年4月:準座員
2006年4月:座員昇格⇒12月22日退座(29歳)
全国的に認知度が上がったのは、テレビドラマ家政婦のミタ(2011年10月12日 – 12月21日、日本テレビ)、そして何より2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の出演です。
その長谷川博己さんの父親は長谷川堯(たかし)さんと言い、とても著名な方だというので見ていきましょう。
長谷川堯(たかし)プロフィール
長谷川博己さんの父親は長谷川堯さんで建築史家としても知られている方です。
また武蔵野美術大学名誉教授にまでなられた方です。
名前 | 長谷川堯(はせがわ たかし) |
生年月日 | 1937年6月16日(没2019年4月17日) |
出身地 | 島根県八束軍玉湯村(現:松江市) |
学歴 | 島根大学教養学部付属中学校 島根県立松江高等学校 早稲田大学第一文学部卒 |
職業 | 建築史家 建築評論家 武蔵野美術大学名誉教授 |
長谷川博己さんの父・長谷川堯さんは島根県、現在の松江市出身で実家は江戸時代から続く老舗旅館を営んでいたということです。
島根県立松江高等学校を卒業後、大学進学で上京しています。
長谷川堯さんに兄4人姉2人の末っ子として生まれたことで家業である旅館を継ぐ立場ではなかったと思われます。
そして東京の大学に進学したということで想像すると実家はとても裕福な家庭だったと思われます。
同志社大学にも合格していたということですが上京することを選んだのは2人の兄も東京にいたからと言うことです。
長谷川博己さんは身長182㎝と言うことですが父の長谷川堯さんも180㎝超えの方でトレンチコートがよく似合い、息子の長谷川博己さんともよく似ていたということです。
以前、NHKのファミリーヒストリーで長谷川博己さんが出演した際、父の長谷川堯さんの若い時の写真が公開されましたが本当にそっくりで話題になりました。
建築史家・建築評論家の長谷川堯さんについて「建築界に大きな転換点をもたらした人物」として言い伝えられる方です。
1972年長谷川堯著書「神殿か獄舎か」が世に出ると衝撃的だったと言われています。
明治時代、西洋文化の影響を強く受けていた建築物を痛烈に批判。人間にとって合理的な建築物とは何かを問い続け、ムダのない建築様式へとシフトするきっかけを作りました。もし彼がいなかったら、日本の建築はいまとは違ったものになっていたかもしれません
引用:NEWSポストセブン
2019年4月17日81歳の時にがんのため死去されています。
出身大学
長谷川博己さんの父・長谷川堯さんのは早稲田大学第1文学部を卒業しています。
長谷川堯さんは美術史専攻ということで、1960年卒業後に自身の卒論が雑誌『国際建築』に掲載されたことで評論家として活動を開始しています。
評論家としての評価
長谷川博己さんの父・長谷川堯さんの評論家としてのスタートは文学部出身者で経歴としては当時、異色とされていたようです。
当初、評論家として順調とは言えなかったようですが「独自の視点から日本の近代建築史を検証」というスタイルが確立し、信頼されていく事となったと言われています。
長谷川堯さんの早稲田大学の卒論が専門誌(建築雑誌)『国際建築』に掲載された経緯には、長谷川堯さんが早大で美術史専攻し、そこで出会った恩師となる美術評論家で建築評論家の板垣鷹穂氏の指導を受けれていたことも関わってきます。
(板垣鷹穂氏は美術評論家・建築評論家のパイオニア的存在の方です)
そして長谷川堯さんの卒論は板垣鷹穂氏に高く評価され、『国際建築』の関係者に推薦され、掲載に至ったということです。
板垣鷹穂氏との出会いがきっかけで『国際建築』に掲載されたことについて長谷川堯さん自身の言葉が残っています。
『この時の先生の口添えのおかげで、拙い仕事であったが、幸運にもその雑誌に連載してもらえ、おかげで、その後三十数年間を、曲がりなりにも「建築評論家」と言った肩書で仕事を続けることができたことを思えば、先生との出会いは私の半生にとって、決定的な出来事であったと言える。』
引用:長谷川堯先生を偲んで
こちらの参考記事では長谷川堯さんの葬儀では長男で俳優の長谷川博己さんが喪主をつとめられ、挨拶されたということにも触れられています。
武蔵野美術大学教授
長谷川博己さんの父・長谷川堯さんは定年まで武蔵野美術大学に勤められていました。
- 1970年武蔵野美術大学非常勤講師
- 1977年武蔵野美術大学助教授(美術史研究室)
- 1982年武蔵野美術大学教授
- 2008年武蔵野美術大学定年退職
武蔵野美術大学名誉教授
武蔵野美術大学定年後は2009年東京造形大学客員教授として2009年~2017年まで籍を置かれていましたがその後、病気の治療に専念されていたと思われます。
長谷川堯さんが亡くなられたときに初めて息子が俳優の長谷川博己さんだと世間に広まったと言われています。
親子仲は?
長谷川家の知人談として長谷川博己さんと父の長谷川堯さんとの親子仲は良かったと伝えられています。
博己さんが就職した会社を1年で辞め、“俳優になる”と伝えたときは猛反対したそうですが、親子の仲はよかった。晩年、堯さんはがん闘病していましたが、博己さんのドラマの話をすると、顔をほころばせていました」(長谷川家の知人)
引用:NEWSポストセブン
晩年は息子・長谷川博巳さんの活躍を喜んでいたことでしょう。
長谷川博巳の母は美人
長谷川博巳さんの母は旧姓今田恵子さんと言い、とても美人でしかも!1968年に武蔵野美術大学に入学し、油絵を専攻している才女です。ます。
その画像がこちら!
「ファミリー・ヒストリー」で紹介された長谷川博己の母・恵子さん(武蔵美時代?)があまりにも美しいので、しばらくの間、PCの背景画像にします。 pic.twitter.com/YONt49sX21
— 松山晋也 shinyaMATSUYAMA (@agostoshinya) January 5, 2021
母の恵子さんが武蔵野美術大学3年の時に講師だった父の長谷川堯さんと出会い、母・恵子さんが大学を卒業した2年後の1974年に結婚しています。
長谷川堯さん36歳、恵子さん24歳の時です。
実はこの母・恵子さんの父で長谷川博巳さんの母方祖父にあたる方が、国鉄に勤めていたにもかかわらず、映画スターになることを夢見て一時期、家族を放りだし、劇団文学座にはいってしまったと言われています。
結局は連れ戻され、映画スターの夢は叶わなかったということですが、これは!
中央大学を卒業して勤めた会社を1年でやめ、父の長谷川堯さんの反対されるも文学座に入所した長谷川博己さんと似ていますね!
長谷川博巳の妹は大学教授
長谷川博巳さんには妹さんがいて長谷川弓子さんと言います。
妹・長谷川弓子さんは聖徳大学の講師、そして料理家と言うことです。
そう考えると長谷川博己さんは母の恵子さんの血筋を、妹の弓子さんは父の堯さんの血筋を引いているようですね。
聖徳の先生、誰かに似てると思ったら長谷川博己さんの妹さんだった。 pic.twitter.com/E01tNww9fw
— thankyoukickout aka ユキオ (@thankyoukickout) January 20, 2022
https://twitter.com/lalala_nexus/status/1391129946223833093?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1391129946223833093%7Ctwgr%5E3a1e21a54a18a846b0c34757c1ed3ef29108b76c%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fchobi-rin.com%2Fwiki-purofu-hasegawayumiko%2F
長谷川博巳さんの妹・長谷川弓子さんは明治大学卒業後、百貨店に3年間務めています。
その時の貯金を専門学校の学費にあて、栄養専門学校で栄養士の資格を取得しています。
2007年27歳の時に日本料理を学ぶため、近茶流宗家・柳原一成氏、柳原尚之氏に師事し内弟子生活をおくっています。
5年の生活を経て料理家として外に出ることを許されています。
年齢などは公表されていませんが2007年27歳の時に弟子入りしたと公表されていることから2023年で43歳、兄の長谷川博己さんとは3歳違いと思われます。
長谷川博己さんも妹の弓子さんもご両親のいいとこどりとしていると感じますね。
まとめ
長谷川博己の父は長谷川堯さんで1972年の著書「神殿か獄舎か」を世に出し、建築史家・建築評論家として活動し、定年まで武蔵野美術大学に勤められ、武蔵野美術大学名誉教授になられた方です。
2019年に亡くなった時に俳優・長谷川博己の父親だと世に知られています。
若い時の父・長谷川堯さんは息子の長谷川博己さんと高身長な所も似ていますが顔もそっくりだと長谷川博己さんも認めるほどです。
違う道を歩んだ親子ですが、晩年の父・長谷川堯さんは息子・長谷川博己さんの役者としての活躍を喜んでいたということです。