お笑いタレントとして数々の番組で活躍し、“クズ芸人”の異名を持つ三又又三さん。しかし、その生い立ちを紐解くと、意外にも由緒ある開業医の家系に育ったことがわかります。三又さんの実家があるのは岩手県花巻市。ここで父親は長年、地域の人々から信頼される内科医として診療を行ってきました。診察室には常に患者さんが絶えず、父親が手がけるきめ細かな診療スタイルは地元でも評判でした。小さな頃から「患者さんの声にしっかり耳を傾けること」を身近に見て育った三又さん。医学書に囲まれたリビングや、診察後に父が持ち帰るカルテの一部始終を見て、「人を笑顔にする医療」と「人を笑わせるお笑い」の共通点を無意識に感じ取っていたかもしれません。幼少期には診療所の待合室で絵本を読んだり、父が帰宅するまで医院の倉庫でお絵描きをして過ごすことも多く、人と人とのつながりを肌で学んで育ちました。学業優秀な兄は歯科医師として同じ花巻市内で医院を開設し、兄弟そろって“医療の担い手”という家庭環境。本名の「忠久(ただひさ)」を継ぐ重みや、医療で地域に貢献する家族の背中を見ながら、彼はあえて芸人の道へ進む決意を固めたのです。
親戚のほとんどが医師?三又家の医療系エリートぶり
三又又三さんの家系は医療関係者が多数を占めることで知られています。地元・花巻市内の親戚だけでなく、遠方に住む伯父や従姉妹までもが医師免許を持つ“医療エリート集団”なのです。幼い頃、親族の集まりでは病院の話題が尽きることなく、「最新の検査機器」「地域医療の課題」「後継者育成」といった専門的な話が飛び交うことも珍しくありませんでした。そのため、家庭内で食卓を囲むときは、父や兄が研修報告や治療事例を熱心に語り、お年玉よりも医学書をねだる子どもたちの姿があったほどです。そんな中、三又さんは自らの進路について家族に相談した際、「医師の道もあるが、お前にはお笑いしかないだろう」と父から背中を押され、エリートのレールを外れる決意を固めたと言います。その言葉には、医療の世界への愛情と同時に、息子の個性を尊重する深い愛が込められていました。結果として、彼は「医師になる」という期待を背負いながらも、自ら選んだ芸人の世界で活躍するという異色のキャリアを歩むことになります。
兄は2016年に白血病で他界
三又さんの兄は、花巻市内で歯科医院を経営し、地域の歯科医療に貢献する傍ら、家族にも温かな支えを与えていました。しかし2013年に白血病と診断され、以後3年1ヶ月にわたる延命治療生活に突入します。兄の病気発覚後、三又さんは仕事の合間を縫って見舞いに通い、多忙なスケジュールの中でも兄の希望を叶えるべく奔走していたと言います。兄が最も愛したフルーツ「マスクドメロン」を定期的に取り寄せ、治療の合間に一緒に味わうひとときは、彼ら兄弟にとってかけがえのない時間でした。そして2016年12月、兄は家族に見守られながら息を引き取りました。三又さんは自身のSNSで「兄との最後のLINEは『三又ノ番組 全国制覇せよ!』。必ず守ります」と投稿。兄の遺志を胸に刻み、以降の活動にいっそう精力的に取り組む決意を公にしました。兄の死は彼にとって大きな痛手であったものの、その言葉は彼を奮い立たせる原動力となり、舞台上でのパフォーマンスに深い情熱を注ぐ源泉となっています。
実家は花巻市の「三又医院」だった可能性が高い?
岩手県花巻市内にはかつて、「三又医院」と「三又歯科医院」という二つの医療機関が隣接して存在していた記録が残っています。Googleストリートビューの過去画像(2013~2017年)を確認すると、道路を隔てて向かい合う位置に、いずれも「三又」の名を冠した看板やタイル張りの外観が確認できました。三又医院は内科診療所として、待合室に伝統的な木製ベンチを配したクラシカルな佇まいで、開業当時から地元住民に利用されてきた様子がうかがえます。一方、三又歯科医院のほうは比較的モダンな建物で、ガラス扉や大きな窓が特徴的。2016年以降、兄の他界とほぼ時期を同じくして両院の看板が撤去され、閉院または移転の痕跡が見られなくなりました。これらの情報から、父が経営していた三又医院と兄が切り盛りしていた歯科医院が、この二つだった可能性は極めて高いと考えられます。医療機関としての歴史を感じさせる外観や、周囲の住宅地との調和ぶりからも、三又家が長年にわたり花巻市の人々と深い関わりを築いてきたことが浮かび上がります。
医師の家庭で育ちながら芸人へ。異色のキャリア
三又又三さんが生まれ育った環境は、文字通り「白衣の世界」。普通であれば進学時に「家業を継げ」という声が自然と聞かれるところを、三又さんは高校卒業後、仙台育英学園高校から上京し、俳優養成所「円・演劇研究所」へ進学しました。医学部志望の友人とはまったく異なる道を選んだ背景には、幼少期から抱いた“人を笑わせたい”という純粋な情熱がありました。医師一家の家庭で学んだ「相手の表情を読み取る力」「伝える技術」は、結果として彼のコントやトークにも生きています。特に、医療ドラマのパロディや、診察室を舞台にしたネタでは、自身のルーツをさりげなく活かしたオリジナリティあふれる笑いを生み出しました。芸人としてデビュー当初は、父親や兄から「医師の世界を忘れるな」との手紙や電話が届くこともありましたが、三又さんは「いつか必ず帰郷し、医療と笑いの両輪で故郷を盛り上げたい」と語り、着実に芸の腕を磨き続けています。
まとめ|“クズ芸人”の裏には由緒ある実家の存在があった
派手な芸風や“クズ芸人”キャラクターの裏側には、岩手・花巻の実家で培われた医師家系の教えと兄弟愛が息づいています。父は地域医療を支え続けた内科医、兄は歯科医師として患者の笑顔を守り、親戚のほとんどが医療に関わるという環境。そんな中で培われた「人への思いやり」「コミュニケーション能力」は、三又さんが芸人として台本を超えたリアルな会話術や、観客を引き込むトーク力に直結しています。医者の道を捨ててまで選んだ芸人という異色のキャリアは、実家からの深い理解と、兄から託された「全国制覇せよ!」の言葉があったからこそ実現したとも言えます。今後も彼が医療一家出身のバックグラウンドをどのようにネタに昇華し、全国の観客を笑わせ続けるのか、注目が集まります。